2010年12月13日

常陸国風土記

 筑波の県は、昔、紀(き)の国といった。美麻貴の天皇(崇神天皇)の御世に、采女(うねめ)臣の一族が、筑箪(つくは)命を、この紀国の国造として派遣した。筑箪命は「自分の名を国の名に付けて、後の世に伝へたい」といって、旧名の紀国を筑箪国と改め、さらに文字を「筑波」とした。諺に「握り飯(いひ)筑波の国」といふ。
昔、祖先の大神が、諸国の神たちを巡り歩いたときのことである。旅の途中、駿河の国の富士山で日が暮れてしまった。そこで福慈(富士)の神に宿を請ふと、「新嘗祭のために今家中が物忌をしてゐるところですので、今日のところは御勘弁下さい。」と断られた。大神は、悲しみ残念がって、「我は汝の祖先であるのに、なぜ宿を貸さぬのだ。汝が住む山は、これからずっと、冬も夏も、雪や霜に覆はれ、寒さに襲はれ、人も登らず、御食を献てまつる者もゐないだらう。」とおっしゃった。さて今度は、筑波の山に登って宿を請ふと、筑波の神は、「今宵は新嘗祭だが、敢へてお断りも出来ますまい。」と答へた。そして食事を用意し、敬ひ拝みつつしんでもてなした。大神はいたく喜んで歌を詠まれた。
 愛(は)しきかも我がすゑ 高きかも神つ宮
 天地(あめつち)と等しく 日月(ひ つき)とともに 
 民草集ひ賀(ことほ)ぎ 御食(み け)御酒(み き)豊けく 
 代々に絶ゆることなく 日に日に弥栄え
千秋万歳に たのしみ尽きじ

かうして、富士の山は、いつも雪に覆はれて登ることのできぬ山となった。一方、筑波の山は、人が集ひ歌ひ踊り、神とともに飲み食ひ、宴する人々の絶えたことは無い。

Posted by つながる山麓商店街 at 21:39│Comments(0)
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